おかしな話だと思わないか。
存在しないきみの不在を、 ぼくはなぜだか知っているのだ。

Introduction

「不在」をテーマにした、呼吸書房二冊目の幻想短編集です。
何かを失い、あるいは投げ捨て、もしくは奪われたひとびとの、永遠に埋まらない空席を眺めつづけるような短編と掌編を7編収録。
物語は、遠い未来、現代東京、天国と地獄、そして暗闇をめぐります。

各編の登場人物たちに関連性はありません。
そもそも登場人物さえ不在かもしれません。

風野湊 幻想短編集Ⅱ
『永遠の不在をめぐる』

どこにもいないあなたへ。

Information

  • 文庫版/オンデマンド印刷/本文114頁
  • 収録作品数:7編
  • イベント頒布価格:400円
  • 通販価格:500円
  • 執筆&表紙デザイン:風野湊
  • 第二版本文組版:山川夜高さん
  • 初版発行:2015年11月23日 第21回文学フリマ東京
  • 文学フリマ公式ガイドブック第9版掲載

Sumple Reading

P09 海を商う

遠い未来、水は密猟の対象になった。
宇宙に散らばる地球移民の子孫たちが、こぞって母星の水を欲したためだった。数光年の距離を越えて運ばれる地球の水は、たとえつまらない雨水でも、水たまりから掬ったような泥水でも、黄金以上の高値がついた。人工的に生成した水分では駄目なのだ、と彼らは口を揃えて言う。あの青い星、あの小さな青い星を満たしていた水でなければ駄目なのだと。それだけが本当の水なのだと。
別に珍しい話ではない。古来より、水はひとにとって信仰の対象だったのだから。
死ぬまでにたった一度で良いから地球の水が飲みたいと言って、彼らは泣いて水を求めた。求められたので商売が生まれた。一トンの海水と引き替えに、移民星の希少鉱物を大量に輸入する貿易形態によって、地球人は目も眩むような黄金時代を迎えた。

※本作は即興小説のリライト掌編となります。WEB版はこちらです。

P13 夢みる時差のために

骨董品屋の片隅で、わたしはその時計を見つけた。
一目で芸術品だと知れた。
埃にまみれ、蜘蛛の巣を纏い、それでも輝きを失わずに、ゆっくりと振り子を動かしつづけている。持ち上げてみれば、若い猫のような重みが腕に掛かった。優美な短針と長針を十二色のステンドグラスが彩り、時計盤の円周には飛び立つ鳥の姿が彫りこまれている。それは、こんな小さな町の小さな骨董品屋ではなく、異国のお屋敷か、小国の城に飾られているべき時計だった。
当時、わたしの財布には少額の紙幣しか入っていなかったのに、気がついたときには値段を尋ねていた。尋ねないことはありえなかった。
「そいつは時計じゃない。ただの飾りだよ」
店主はちらりと一瞥を向けただけで、ぶっきらぼうに二束三文の値をつけた。
「何故です、こんなに美しいのに」
「時間が合わないんだ。壊れてる。完全にな。何度修理しても、何度時間を合わせても、勝手にズレていっちまう。どこかに異常がある訳じゃない、作られたときからずっとおかしいのさ」

※本作は即興小説のリライト掌編となります。WEB版はこちらです。

P19 作家と刑罰

とある高名な作家が死んだ。
地獄へ落とされた後、彼に科された刑罰は、火の味を描写せよというものだった。
「火の味ですって?」
「然り」
地獄の官吏は作家の眼前に立ち、厳粛な面もちで頷いた。作家は呆れ混じりの微笑を浮かべた。椅子に拘束されていなければ、この生真面目な官吏の肩を叩き、もっとましな冗談を言うようにと諭すこともできるのだが。
「存在しないものは書けませんよ」
「心にもないことを」
「……本心のつもりなんですがね」
作家は椅子の背に凭れかかり、文机の上に用意された己が罰を眺めた。
一枚の白紙。一本の鉛筆。一本の匙。一枚の、燃える皿。
想像上の火ではなく、直に火を食した上で書けと、どうやらそういうことらしい。なるほどここは死後の世界だ、火を食道に流しこんだところで、火傷と窒息に命を奪われることはない。失神くらいはするかもしれないが。

※本作は即興小説のリライト掌編となります。WEB版はこちらです。

P27 踊ろうポラリス

改札を出たところで軽い目眩に襲われたと思ったら、方向感覚がなくなっていた。
何を言っているか分からないって? わたしにだって分からない。突然、前と後ろと右と左の区別が失われるだなんて、考えたこともなかった。これなら記憶喪失の方がまだマシだ。改札からたった数十メートル向こうの交番まで辿りつくために、なぜ一時間半も――残業帰りの疲れた体で――さまよわなければならないのか。わたしの顔はもう涙でぐしゃぐしゃだった。わたしは申告した。
「迷子になりました」
お巡りさんは困惑と同情とドン引きの目でわたしを見た。まあ誰でもそうなるに違いない、あなたを恨みはしない。木曜二十一時の渋谷駅で、三十四歳の残業帰りOLが顔面をどろどろにしてフラついているのだから。
「お酒飲んでます? もしくはもっとヤバいやつ飲みました?」
「飲んでません、一滴だって飲んでません、さっきまで残業してたんですよ。帰り道がわかんないんです」
「はあ……ご転居されたばかりで?」
「もう十二年住んでます」
わたしは情けなさのあまりさらに泣いた。

本作は書きおろしです。WEB掲載の予定はありません。

P43 昼の光から逃れるために

天国の片隅には秘密のプラネタリウムがある。
小ぶりなテントの中に設えられた座席の数は全部で六つ、上映回ごとに、いつもあっという間に満席になる。プラネタリウムがオープンするのは太陽の出ている間だけだ。夜明けとともにテントの入り口は開き、日没とともに閉じる。空に星が灯りはじめる頃には、テントは跡形もなく消えてしまう。
天井に投影されるのは、わたしたちには見えない星空である。

※本作は即興小説のリライト掌編となります。WEB版はこちらです。

P47 くらやみのこども

一面の暗闇。
まぶたの裏と見分けのつかない暗闇。
壁に預けていた背中が軋み、わたしは幾度目かの微睡から目を覚ました。重い瞼をこじあけ、辺りを見回し、相変わらず何も見えないことを確かめる。自らの眼前に掲げた指先でさえ、黒い闇の中にすっかり溶けこんで、どれだけ目を凝らしても見つけることができない。異常なし、とわたしは呟いた。眠る前と変わらない。
わたしは持ちあげた腕をそのまま落とし、手の甲で床を叩いた。薄い鉄を打つ虚ろな音がコォンと響き、渦巻くように上へ下へと、余韻とともに広がっていった。わたしは一瞬、この音を誰かが聞きつけて、ここに閉じこめられているわたしに気づいてくれる可能性を夢みた。その希望は喉に刺さった針のように鋭かったので、ほとんどわたしを殺してしまうところだった。わたしは唇をきつく噛みしめ、希望の嵐が通りすぎるのを待った。
「いいかい」
とわたしは声に出した。
「よく聞くんだ。助けは来ない。誰もわたしがここにいると知らない。間に合わない。わたしはここで死ぬ」
あんまりだ、という呻きは声にならなかった。

本作は書きおろしです。WEB掲載の予定はありません。

P89 あなたの不在を愛する

きみには好奇心の旺盛なところがある。それは知っていたつもりだ。
それでも、まさか、ぼくらの秘密の集まりに行ってみたいと言い出すなんて、それはまったく予想していなかった。
ぼくは自室でまったりとお茶を飲んでいるところだったけれど、きみの唐突な申し出に心を奪われ、もう気分はおやつどころではない。それなのにきみは平気な顔で、ぼくのベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせながら、くしゃりと笑って首を傾げた。
「駄目かなあ」
いや、駄目じゃないけども。
「じゃあ連れてってよ。次の日曜でしょ?」
本気かと尋ねると、きみはもちろん本気だと答えた。
こうなったきみは絶対に意見を曲げない。それはもうぼくにも分かっている。分かったよ、きみを連れて行くよ、とぼくは約束した。きみは実にご機嫌になって、次から次へとおやつのクッキーを口に運んだ。チョコレートチップ、バタークッキー、オレオ、カントリーマアム、ラングドシャ、そんなに食べたら太るんじゃないのと言ったところで聞きやしない。きみはクッキーが大好物だ。クッキーさえあればだいたい幸せそうにしている。
という訳で、次の日曜日、ぼくはきみを連れて西荻窪へ出かけた。休日のこの街には中央線快速が止まらないので、わざわざ吉祥寺で総武線各駅停車に乗り換えないといけない。
今にも駆け出しそうなきみを宥めて、駅ナカのお菓子屋さんに立ち寄る。ぼくが簡単な焼き菓子の詰め合わせを選んでいる間、きみはショーケースの季節限定マロン・ミルフィーユをぎらぎらした眼差しで見つめていた。

本作は書きおろしです。WEB掲載の予定はありません。

きみはどこにもいない。
この世どころかあの世にも、
あらゆる過去にも未来にも、
きみは永遠に存在しない。

おかしな話だと思わないか。
存在しないきみの不在を、
ぼくはなぜだか知っているのだ。

その瞳を、声を、微笑を
まるで眼前にあるかのように
うつくしく克明に夢みながら
その不在を信じるがゆえに
ぼくはきみの実在を信じる。

次回頒布予定イベント

2016.11.23 第23回文学フリマ東京

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