呼吸書房

不在は悲しみではない。

千年の昔から聳え続けていた眠り姫の茨の城が、過日の地震でとうとう崩壊したので、僕らの国は空前の観光ブームに見舞われていた。
 近隣諸国からの純朴な観光客はもちろん、歴史学者、民俗学者、考古学者、魔法学者、各国首脳、各国王家の末裔、どこぞのお忍びの王女様までが、現在に息づくお伽噺の化石を見ようと詰めかけた。半ば遺跡と化していた古城の近くにあったのは小さな村が一つきりで、宿泊施設はあっという間にパンクし、草原には臨時のテント村がどこまでも続いた。村は一週間で十年分の生活費を手に入れた。
 観光客は城の外観を眺め、損傷が軽度な廊下をぞろぞろ歩き、千年前の歴史と逸話を聞けば満足して帰ってゆく。テント村には臨時の土産物屋が軒を連ね、日を追うごとにその数は増えた。売れ筋は悲劇の城と姫君の小さなマグネットで、店主が怯えるほどによく売れた。並行して、城内には調査隊が入った。保護団体とのすったもんだの末、なんとか樹齢千年の荊を焼き払い(城の崩壊と共に魔法を失った荊は紙屑のように良く燃えた)、瓦礫を分類してゆく。かつての玉座、大広間、図書館、階段、台所。何せ千年も時を止めていたのだから、損傷こそあれど経年劣化はほとんどなく、すべてが貴重な史料だった。
 そして、尖塔の残骸の中から、とうとう眠り姫の寝台が見つかった。折れた柱と崩れた壁の破片とが突き刺さり、豪華だったろう天蓋はばらばらに砕けていた。羽布団は血に染まっていた。ひしゃげた老婆の遺体がひとつ、ひっそりと収容された。
 眠り姫発掘さる、との号外は国中を駆け巡り、テント村は人で溢れ、とうとう新たな城下街の建設が開始された。かつての貧乏な村人たちは、今では全員億万長者だった。

遺体収容から二日後、莫大な国家予算を費やして、眠り姫の葬儀が執り行われた。
 かつての王家の末裔と、現職の大統領とが参列し、それぞれ感動的なスピーチを述べた。この日を境に、僕らの国にシンボルがひとつ増えたほどだ。
 王家の末裔であるかの老婦人は——もちろん眠り姫と血の繋がりはまったく無い訳だが——僕らの国の歴史を語った後に、千年前の姫君への手向けとして、今も諸国に存在する、眠り姫たちの現状を述べた。

「あなたがとうとう目覚めずに逝ったことは、悲劇でこそあれ、不幸ではないと信じています」

「王子の失踪は今や、世界にありふれたことのひとつ。必ず目覚める運命にあったはずの貴女たちが、いつしか王子のキスと逸れ、愛を知らぬまま逝ってしまったとしても」

とか何とか、そういう感じ。
 葬儀は一週間も続き、僕らの国の誰もが久しぶりのお祭りを楽しんだ。火葬の煙に、吟遊詩人たちは競って陽気な歌声を乗せた。僕らは踊る。おはよう、さようなら、お姫さま。美しかったお姫さま。さようなら、さようなら。
 この時に作られた城下街は、国の観光名所として、今でも明るく栄えている。古城の跡はそのうち世界遺産に登録されるかもしれないそうだ。