Nature
本ページでは、樹木変身譚シリーズの登場生物について紹介しています。
物語の舞台は、私たちの地球と同一の世界ではありません。大陸の形も、辿った歴史も異なります。それでも、私たちの世界とよく似ています。
私たちの世界にも存在するものたちと親しむきっかけとして、楽しんでいただけたら幸いです。
各項には本編からの引用文を含みますが、大きなネタバレに抵触する箇所は畳んでいるので、本編未読でも閲覧いただけるかと思います:)
植物好きな方は『すべての樹木は光』刊行時のツイートによる植物解説スレッドも併せてどうぞ。
10/16 Update: フィカス・カエンボク
カラテア Calathea
繊細な影絵のような葉の紋様に、あの幼い子供たちは目を留めてくれただろうか。(…)手のひらほどの葉のひとひらを、ゆるりと回しながら空にかざす。葉緑体を通過した光は深い緑にかがやいて、葉脈を浮かびあがらせた。孔雀の尾羽にも喩えられるその葉は表裏で色が異なり、葉裏はアントシアニンの鮮やかな紫色を帯びている。『すべての木陰に歌を』第一部「彼女について」P13
(私たちの世界では)熱帯アメリカ原産、クズウコン科カラテア属に分類される or されていた植物の総称。現在、大半の種はゴエペルティアGoeppertia属に再分類されているのですが、植物園や園芸店では今でも一般的にカラテアという名称が使われています。
カラテアは植物園の温室にしばしば植えられている植物です。はじめて目にしたとき、影絵のような、あるいは影を身の内に抱いたような、その不思議な模様にとても驚いたことを覚えています。
影をモチーフとする『すべての木陰に歌を』の執筆にあたり描写したかった植物のひとつで、『木陰』第一部、未来の植物園を舞台としたトゥーリのパートで象徴的に登場します。
背後から夕日に照らされた彼女は、カラテアの葉の影絵のようだった。「また来ます」と、彼女は朗らかに言った。『すべての木陰に歌を』第一部「彼女について」P26
その特徴的な見た目から美しい名前をいくつも持っています。ゴシキヤバネバショウ(五色矢羽根芭蕉)、peacock plant、cathedral windowsなど…。また、就眠運動によって、夜になると葉を掲げて(まるで手と手を合わせるように)閉じることから、prayer plantと呼ばれることもあるようです。
カラテアにも様々な種類がありますが、作中で主なモデルとして想定していたのはカラテア・マコヤナ(学名Goeppertia makoyana)です。
なお、我が家には同属のカラテア・ランキフォリア(学名Goeppertia insignis)がいます。とても孔雀の尾羽!
シマトネリコ Evergreen Ash
中庭の隅にあるシマトネリコの木が、キオのいちばん古い友だちだった。(…)六歳のとき、キオは木に名前をつけた。それからというもの、ふたりは声を交わさずにお喋りができるようになった。冬のさなかにも青々と、二階の窓まで常緑の枝葉を広げるトゥーリの木陰が、キオの秘密基地だった。すべらかな樹皮のくぼみに耳をよせると、いつでもやさしいささやきが聞こえた。『すべての木陰に歌を』第一部「彼女について」P40
(私たちの世界では)亜熱帯〜熱帯アジア原産、モクセイ科トネリコ属の常緑樹。学名Fraxinus griffithii。日本では一昔前に庭木として持て囃されたため、関東以西の住宅地を歩けば高確率でシマトネリコに会えます。街路樹にもときどきいます。株立ち(根元から細い幹を何本も出させる樹形)で仕立てられることが多いですが、たまに一本立ちの木もあります。
『木陰』第一部で、古いアパートメントの庭木として登場します。住民のキオにとっては空想の友人でもあり、お喋りを楽しめる間柄。シマトネリコの葉はひとひらが小さく、艶やかで、常緑樹にしては明るい緑色が特徴です。
六月ごろにフワフワとした小さな白い花を咲かせます。風媒花で、翅付きの種子もまた風に乗って遠くまで飛びます。作中でも時期的に咲かせているはずなのに描写し損ねたのが若干心残り…。ちなみに雌雄異株で、トゥーリは雌木です。
成長の早い頑強な木であり、飛散した種子から容易に発芽するほか、挿し木でも増やせます。熱帯〜温帯の世界各地で植えられているようですが、その特性から外来種になりがち。街を歩いていると、種から芽吹いたらしき野良シマトネリコの若木が生えているのをときどき見かけます。
「トネリコ」は戸練り木/戸練り粉から転じた和名と言われていますが、そこにファンタジーな響きを聞き取る方も多いのではないでしょうか。特にゲームとか神話が好きなひと。これは北欧神話の世界樹ユグドラシルの樹種がセイヨウトネリコとされているためで、ファンタジー系ゲームにはしばしばトネリコの名が登場します。『アルトネリコ』シリーズとか、ドラクエ外伝の『トネリコの大冒険』とか。
なおセイヨウトネリコを筆頭にトネリコ属は落葉樹が多く、常緑のトネリコは少ないそうです。シマトネリコの英名はそのままEvergreen Ashとなっています。
『木陰』第三部を読了された方へ
それは幻とは思えなかった。手の中で幾度もひっくりかえし、輪郭をなぞった。波打つ縁、細い先端から丸く広がり、また細く収束してゆく。中央に走る一筋の軸。おそるおそる、鼻に近づけてみた。森の匂いがした。流れついた一枚の葉を、祈るように手のひらで包み、ユハは立ちあがった。『すべての木陰に歌を』第三部「夜の木陰を渡り」P146
トゥーリの樹種は当初、クチナシ、キンモクセイ、ベンジャミン、プルメリアなども候補でした。花木ではない気がする+常緑樹+亜熱帯の庭にありそうな樹木+マイナーすぎない+挿し木が容易である+成長が早く頑強(伐採されやすい)という条件で改めて絞りこみ、文体への馴染みやすさも考慮して最終的にシマトネリコとなった経緯があります。
トネリコの伝承は執筆時ほぼ意識していなかったのですが(無意識で影響されてはいたかもしれない)、不思議な水面に佇む一本の樹木として、シマトネリコはわりと似合う選択だったんじゃないかと思います。
ソテツ Cycads
さて、今から三百七十年前、森の奥深くに迷いこんだ村娘が、若いソテツの雄株に見初められた。
「ソテツって分かる?」と問われ、ユハは頷いた。
「中庭に植えてありますよね。背が低くて、幹が太くて、ざらざらした……」『すべての樹木は光』第三章「言葉のない世界」P129
(私たちの世界では)熱帯〜亜熱帯の各地に自生する、裸子植物ソテツ科およびザミア科の植物たち。日本で「ソテツ(蘇鉄)」と言う場合、基本的にCycas revolutaを指します。Cycas revolutaは九州南部〜沖縄から東南アジアにかけて自生する種で、寒さに比較的強いことから、観葉植物として世界各地に植えられています。300種以上が知られていますが絶滅危惧種も多々。
恐竜とほぼ同時期(2億5000万年くらい前)には既に存在しており、現在までほぼ同じ形態を保っている、いわゆる生きた化石です。二億年って何…こわ……。
生きた化石である植物としてはイチョウもよく名前が上がりますが、イチョウもソテツも精子を持つとても珍しい植物です。この辺はむしろシダ類やコケに近い特性なので、マジで太古の植物なんだなと思います。
なお、シルエットが似ているヤシや木生シダとは系統的には相当遠い種です(ヤシは被子植物、シダは種子を作らない植物)。じゃあヤシの絵文字🌴つけるんじゃないよ! だってソテツの絵文字とか存在してないから…
ソテツ類はみな雌雄異株であり、有毒です。根に共生するシアノバクテリアが毒の生成に関わっているとか。また、成長が極めて遅く、寿命も長いと言われています。なんか底知れなくて凄いぜ…ということでニイジェが語る樹木怪談に主役として登場してもらいました。『すべての樹木は光』の不穏成分を相当に担ってくれた存在ですね。
「うん、あれもソテツ。でも、この話に出てくるソテツとは種類が違う。こいつは背が高くて、幹が細くて、直立したヤシによく似てて、小さな鈴みたいな実をいっぱい付けるんだ」
彼女は、逃げる間も抵抗する間もなかった。というより、きっと、何が起きたのかも理解できなかっただろう。そのソテツは、一瞬で、不運な一人の村娘をソテツの雌株へと変えてしまった。『すべての樹木は光』第三章「言葉のない世界」P129
ここで語られているソテツは、オーストラリア熱帯地域に自生するCycas mediaをうっすらモデルとしてイメージしています。日本のソテツよりも細身で背が高く、鈴のような実(…とニイジェは言っていますが、正確には種子ですね、裸子植物なので)を付けることから、現地ではナッツパームとも呼ばれていたとのこと。
Tanetahi, CC BY-SA 4.0
世界各地の神話や伝承に登場するヤシに比べ、ソテツが神話に語られることはどうやら少ないようです。分布域がヤシよりも限定的だからか、ヤシのように実を食べられる訳ではなく人間への恩恵が少なかったからか…(ソテツも食用可能とはいえ毒抜きの手間がめちゃくちゃ掛かる)。ソテツ、ヨーロッパや中東地域には自生してないんですよね。自生地である熱帯地域の神話には語られていそうな気がするのでいずれ調べてみたいなあ…。
ところで大阪の堺市には、無理やり移植されたものの泣き叫んで織田信長をビビらせたというソテツの伝承があるそうです。やっぱりかっこいいぜ笑。
シダ Fern
※木生シダ・着生シダ・ビカクシダ・アスプレニウムも本節で紹介しています
満月の晩、少年は、村人を一人一人、変身させていった。一瞬で。何の予兆もなく。ある者は蛍に、ある者は蛾に、ある者は蝙蝠に、ある者は蛙に、ある者はシダの胞子に、ある者は苔に、ある者は蘭の種…『すべての樹木は光』第三章「言葉のない世界」P132
画面左奥に見える幹は小笠原固有種であるマルハチ(こちらもヘゴ科)のもの
シダね〜、沼ですね。普通にそのへんに生えてるけど。
シダ植物の分類はかなりややこしいのですが、おおよその特徴としては「花は咲かせず種子も作らない・胞子で殖える・維管束植物」ということで良いのかな…と思います。コケ類も胞子生殖ですが維管束を持たない点で区別できます。身近なところでは、ワラビやゼンマイもシダ植物ですね。世界にはおよそ1万種ほどのシダがあるといいます。
英名Fernの原義は「羽のような葉」とのこと。たしかに羽状複葉🌿←こういう葉っぱの種が多いイメージ。成長したシダの葉っぱを裏返すと、等間隔に並んだ胞子嚢が確認できます。集合体恐怖のひとにはちょっと怖いかも。
作中で描写したシダ植物のうち、馴染みが薄そうな木生シダと着生シダについて軽くご紹介を。
木生シダ
まずは木生シダから。樹木ほどの背丈まで成長し得るシダ植物の総称で、主に熱帯〜亜熱帯地域に育ち、(私たちの世界では)多くがヘゴ科です。およそ600〜700種ほどが確認されています。背の高い種では20メートルほどになるものも。
森は西日にきらめきながら、ふたりの周囲でときおり姿を変えた。見上げるほどの巨大な羊歯が、吹きぬける風に抱かれ、その天蓋めいた葉をほどき、数千の蝶となって一斉にはばたいた。『すべての木陰に歌を』第二部「揺らぎの庭」P108
『木』生シダとは言うものの茎(幹)が肥大成長しないため樹木ではありません。幹っぽい部分は古い気根や葉柄が折り重なって補強されたものです。樹木…木本の定義も学術的には諸説あるそうですが、一般的には「茎が複数年に渡って肥大成長し、木質部を形成している植物」が樹木とされます。バナナなんかも同じく、見た目は木だけど実際は草の仲間ですね。
その姿はヤシやソテツによく似ているため、見間違えられることもしばしば。大抵の温室には植えられているので、ヤシっぽい植物がいたら新芽を観察してみてください。ゼンマイみたいにくるくるしていたら木生シダです。
木生シダ、めちゃくちゃかっこよくないですか??
大好きな植物のひとつです。彼らもジュラ紀〜白亜紀から存在する太古の植物だからかな…。2023年に訪ねたオーストラリアの熱帯雨林では、森を見下ろせるロープウェーに乗る機会があったのですが、樹冠に開いた木生シダの樹冠はロゼット型の巨大な花のようでとても美しかったです。
着生シダ
着生シダは、樹木の幹や枝に根を張って生活するシダの総称です。地面にいなくても平気なひとたち。ときには岩壁に着生するものもいます。樹皮に根でくっついてはいますが、樹木から栄養や水を奪うわけではないので、寄生とは異なります。土壌から水を得ないぶん、降雨や霧が多い湿潤な森に多く生息しています。
作中で登場したのは主に「ビカクシダ」と「アスプレニウム(オオタニワタリ)」ですね。
足元から樹冠へ至るまでの長大な距離にあらゆる緑が氾濫している。樹木の幹に気根を絡ませ天へ駆け上がるモンステラ、翼のような胞子葉を広げて枝上に着生するビカクシダ、放射状の葉を噴水めいて掲げるアスプレニウム。肌に触れてくるかのような湿度は、周囲でさざめく無数の葉のひとつひとつに散りばめられたさらに無数の気孔から蒸散された植物の呼気だ。『樹木のバカンス』P48
ビカクシダは(私たちの世界では)ウラボシ科の着生シダです。世界各地の熱帯域に自生しており、ヘラジカの角のような葉を持つことから麋角羊歯といわれます。またはコウモリランとも。観葉植物として人気ですね。我が家で6年ほど育てているビカクシダはそろそろ直径(上向きの葉のてっぺんから下向きの葉のてっぺんまでで)90cmくらいになります。
アスプレニウムは(私たちの世界では)チャセンシダ科チャセンシダ属 Asplenium の着生シダです。熱帯だけでなく温帯から寒帯にも分布しており、日本にも複数のチャセンシダ属のシダが自生しています。おそらく一番メジャーなのが牧野富太郎によって学名を付されたオオタニワタリAsplenium antiquum Makinoで、植物園の温室でしばしば見かけますが、生息数は減少しており絶滅危惧種に分類されています。噴水のように樹上で広がる放射状の葉はとても美しいです。
ところで、シダの漢字表記は「羊歯」です。わたしは大して疑いももたず、「ははぁん、羊の歯と似てるのね、なるほどね」と流していたのですが、改めて羊の歯列を画像検索してみたところ、言うほど…似てるか…?と大いに首を捻りました。たしかにまあ小さく並んだ歯列はちょっと似てるかもしれないけど…。
どうやら、羊歯という漢字表記の元は中国に由来があるようです。なぜ「羊歯」表記になったのかはネット上でも諸説入り乱れていますが、こちらのブログで提唱されていた「江戸時代末期に翻訳によって作られた学術用語」という説が資料調査も豊富で一番面白かったです。言葉ひとつにも歴史ありだねえ…。
じゃあ中国で羊の字が当てられたのはなんで?というのもまた不思議ですが、検索してたら(私の大好きな)ストレイシープ公式サイトでの言及が出てきたのでこれも載せておきます。中国では羊は土から生まれる精霊と信じられていたため、胞子で増えるシダと関連づけられた説。バロメッツってコト!?
ヒスイカズラ Jade Vine
トゥーリの背後で誰かが興奮気味に指差すのは、ちょうど同時期に開花したヨウラクボクとヒスイカズラだ。降りそそぐように咲きこぼれる紅色と翡翠の花序は、連なる蝶のかたちにも似ていた。『すべての木陰に歌を』第一部「彼女について」P14
(私たちの世界では)フィリピン原産、マメ科(マメ亜科)ヒスイカズラ属の常緑蔓植物。その名のとおり、翡翠色の鮮やかなブルーが目を惹きます。花期は2月下旬頃から5月に掛けてと長く、都内にある複数の植物園で見ることができます。
蔓を這わせ、長い花序を垂れ下がらせる様は、身近なところで言うとフジ(同じくマメ科)によく似ています。植物園によっては、ヒスイカズラを藤棚のように仕立てているところもありますね。
花弁は翅を畳んだ蝶のようで、蝶形花と呼ばれます。これはマメ亜科の植物にしばしば共通する形状です。スイートピー、エンドウ、クローバー、ソラマメなど……カラスノエンドウの花が一番身近でしょうか。
自然界においては紫の花もまあまあ珍しいのですが、青い花はさらに珍しいです。遺伝子組み換えによって品種改良された青いバラも、色味としては淡い紫色と言う方が近かったりする中、ヒスイカズラの色彩には何度見ても驚かされます。
この青は、花弁がアルカリ性であることと、アントシアニンとサポナリンによるコピグメント効果が合わさって生じたものです。花粉媒介者のオオコウモリが好む色である…という説明を各所で見かけますが、筑波実験植物園の解説によると、原産地では絶滅危惧種であるため実際は良く分かっていない、という見解もあるようです。まあ確かに、オオコウモリが吸蜜する花がみんな翡翠色かと言ったら、そうでもなさそうな気がするもんなあ……嗅覚に訴えてる花の方が多いとか?
作中における言及としては『すべての樹木は光』の怪談シーンが初出ですね。
少年は、優しい村人たちに、母を今一度会わせようと思った。今度は二度と忘れ去られないように。
満月の晩、少年は、村人を一人一人、変身させていった。一瞬で。何の予兆もなく。ある者は蛍に、ある者は蛾に、ある者は蝙蝠に、ある者は蛙に、ある者はシダの胞子に、ある者は苔に、ある者は蘭の種、ブーゲンビレア、プルメリア、ジェードバイン、かつて母が愛していた大小様々な植物の種に。『すべての樹木は光』第三章「言葉のない世界」P132
あとは、『walking postcard vol.1』掲載の初期稿のみ、ユハには苗字設定があり、その苗字がヒスイカズラ由来だったりもしました。最終的にはボツとしたので、本シリーズの登場人物たちは皆、苗字の設定がありません(存在しない訳ではないが作中において登場しない)。
ジェードバインの存在を初めて知ったのは確かsea-noさんの楽曲由来だったかな。温室魔法もPV込みで好き…『樹木』執筆中はしばしば聞いていました。
本シリーズの植物描写では、意図的に、花言葉を遠ざけています。花言葉の意味を含ませるために登場させた植物は一種もありません。ただ、唯一の例外と言えなくもないのがこちらのヒスイカズラで、執筆当時に意識してはいなかったものの、無意識で覚えていて影響されたかもしれないな…とは思っています。ニイジェが語るソテツの昔話も、ユハも、その悲しみと切り離しては語れないので。
ヒスイカズラの花言葉は「私を忘れないで」です。
モンステラ Monstera / Swiss cheese plant
ユハの足は完全に本人の意思を離れ、前方に障害物があろうとなかろうとそのまま突き進み、モンステラの葉にしたたか額を打たれてユハは両手で顔を覆った。どうせ自分では避けられないのだ、視界に何の意味があるだろう?『すべての樹木は光』冒頭 P25
(私たちの世界では)主に熱帯アメリカ原産、サトイモ科モンステラ属の蔓植物。モンステラ属はホウライショウ(蓬莱蕉)属とも言われ、数十種ほど存在しますが、観葉植物としてもっとも広く出回っているのはMonstera deliciosaです。本項でも主に本種について触れます。穴の空いた葉が特徴的で、耐陰性も強いため、しばしばインテリアグリーンとして置かれていますね。
野生下ではまず暗いところ(木陰)に向かって這うように伸び、着生できる樹木を見つけると、長く強靭な気根で幹を登りながら明るい方へと成長してゆきます。数十メートルもの高さに渡って幹を覆い尽くすモンステラの姿は圧巻です。
ところで、学名Monstera deliciosaの語義は「美味しいモンスター」です笑。MonsteraもMonsterも、ラテン語のmonstrum(奇怪な・怪物のような)を共通の語源に持ちます。deliciosaはそのままデリシャスですね。本種の実はかなり美味しいんだそうです(ただしシュウ酸カルシウムの含有量も多い)。
モンスターの名を冠するのは、モンステラの巨大かつ切れ込みの入った奇怪な葉の様子から…と言われますが、密生時の迫力も寄与しているのではないかと私は思います。生育環境が室内ならそこまで巨大にはなりませんが、森の中の自生モンステラや、植物園の温室で育てられているモンステラはしばしば凄いことになります。
(…たぶん。葉が巨大化&裂け過ぎてて遠景だと同定に自信がない…)
ジャングルの中でいきなりこんな巨大ワサワサに出会ったらそりゃお化けですよ。かっこよすぎる。
本シリーズ内でモンステラはそこまで大きな役割を果たす訳ではないのですが、その葉の奇怪な様、そして大半の人が知っているメジャーな熱帯植物であることから、ひっそりと『樹木』『バカンス』『木陰』のすべてで登場しています。植物園などで巨大なモンステラを眺めていると、あの大きな葉の影に、ふと幻想が佇んでいるのではないかという気持ちになります。
以前、友人の山川夜高さんにお願いしたSkebにて、ニイジェとともにモンステラを描いていただき大変嬉しかったのでここにも載せておきます。穴、裂け目、ってやっぱり物語においては日常に空いた穴でもあり、異界へ通じる象徴だなあとしみじみ。何かが向こうからこちらを覗く、そのままお面のようでもありますね。
『木陰』没エピソードの話
無風の、静まりかえった温室に、わたしの乱れた吐息が大きく響いた。裸足のまま、よろよろと遊歩道を踏むうちに、見覚えのあるハンドバッグが目に留まった。モンステラの葉影に散乱する、財布、ハンカチ、化粧ポーチ、定期券、その他、個人証明に必要な諸々のすべて。あれは夢ではないと裏付けるように、携帯電話だけは見つからなかった。『すべての木陰に歌を』没パート
『木陰』本編に組み入れるか最後まで悩み、最終的に没としたパートに、もうひとりのユハの話があります。
『樹木』冒頭で、樹木に変えられたユハのもとから走り去ったもうひとりのユハは、元の温室まで帰り着きます。そこではモンステラの葉影に彼女の私物が散乱していました。おそらくは、そのとき、ほんの一瞬、幾重にも折り重なったモンステラの形作る不思議な影が、どことも知れない森に通じていたのかもしれません。
サガリバナ Powder-puff Tree
サガリバナもまた、自生地では水辺に生える樹木だ。大ぶりな葉で頭上を覆い、緑の天蓋からいくつもの花序が降りそそぐように咲く。(…)
「あそこです。見えますか?」
トゥーリは開花しはじめた花序を指差した。連なる蕾のひとつが緩み、淡い紅に染まった雄蕊が、小さな花火のようにきらめいていた。
「真夜中にはすべての蕾が開きます。夜明けには散ってしまうから、夜間開館のときでもないとなかなか見られないんですけど」『すべての木陰に歌を』第一部「彼女について」P25
(私たちの世界では)アフリカ東岸部〜インド洋〜太平洋地域の熱帯・亜熱帯各地に自生する、サガリバナ科の常緑高木。日本でも奄美大島以南の南西諸島に群落があり、その姿からサワフジ(沢藤)と呼ばれることも。
水辺を好む樹木であり、主に沿岸湿地林や川沿いに分布します。マングローブ林の後背地(川の上流側)や河岸に根を張ることが多いようです。
夜間に咲く白または薄紅色の花は、翌朝には散ってしまいます。花には甘い芳香があり、自生地では蛾やコウモリが花粉媒介者となります。
植物園の夜間公開において、しばしばハイライトとして扱われる花木です。
都内では、だいたい7月〜9月ごろに開催される、神代植物公園と夢の島熱帯植物館の夜間公開で見ることができます。今年もそろそろかな?
ただ、サガリバナの人気がありすぎて、行列必至なのが悩ましいところです。夢の島熱帯植物館の方が比較的まだ行列マシだけど見応えあるのは神代植物公園なんだよな……。例年どおりなら、神代植物公園ではサガリバナ観覧用の順路と、サガリバナの下を通らない順路(だいたい空いてる)がそれぞれ用意されるので、サガリバナは遠くから見られれば良いかな〜というひとは最初から空いてる順路に行くのもおすすめです。
『木陰』エピローグまで読了された方へ
鉛筆によって写しとられた樹皮は美しかった。目を凝らしてようやく見える微細な縦皺に交差した皮目、そのひび割れのひとつひとつが描きわけられ、息づいていた。呼吸する樹皮。
「サガリバナですか?」
尋ねると、描き手ははじめて振りかえった。背もたれごしにトゥーリを見あげながら一言、「そうです」と答えた。『すべての木陰に歌を』エピローグ「未来」P236
「夜の植物園」を書くならサガリバナは外せないでしょう…!ということで登場いただきました。夜間公開のスターですね。夜に咲く花は他にも多くあるとはいえ、サガリバナの独自性(その派手さ、優美さ、芳香…)はなかなか他にないものです。いつか自生地でも見てみたいものだなあ…。
作中においてユハと深く関わる樹木ではないのですが、植栽管理担当者のトゥーリが親しみを持っている木のひとつであり、物語のエピローグでトゥーリとキオを結びつける役割を果たします。
樹皮も静かな佇まいで綺麗なので、開花していない季節のサガリバナもぜひ眺めてみてほしいです。
フィカス(イチジク属の木々) Ficus
「それに、切り落とされたからって、すぐに死ぬ訳じゃない」ニイジェは小さな鉢植えを抱えあげた。小指のようにほっそりとしたフィカスの若木だ。『すべての樹木は光』第三章「言葉のない世界」P109
(私たちの世界では)温帯から熱帯まで幅広く自生するクワ科イチジク属の木々。学名ではFicusの名が冠されます。イチジクの木はもちろん、ガジュマル、インドゴムノキ、菩提樹、ベンジャミン、ウンベラータもここに含まれます。観葉植物として流通する種が多いので、貴方もきっと見かけたことがあるはず。カフェや美容院、ショッピングモール、オフィスなどに高確率で置かれている木々です。
無花果という漢字表記のとおり、イチジク属の木々は一見すると果実のような、不思議な花序をつけます。花序内部に咲く花の受粉には、共生関係にある寄生蜂の助けが必要です。また、実をもいだり枝を切ったりすると、乳液状の樹液(ラテックス、ゴムの原料)を流すところも共通する特徴ですね。
イチジクの木は、紀元前から中東や地中海沿岸で栽培されていた身近さもあってか、聖書にも様々なエピソードと共に登場します。ほかにも、菩提樹(インドボダイジュ)はその木陰でブッダが悟りを開いたことから仏教の聖樹とされていたり、沖縄ではガジュマルにキジムナーという樹霊が住むと伝承されていたり、古今東西の神話や宗教と縁の深い木々です。
作中では『すべての樹木は光』におけるユハとニイジェの会話で言及しています。フィカスにも色々ありますが、ここでイメージしている樹種はフィカス・ウンベラータです。熱帯アフリカ原産の常緑高木で、軽やかなハート型の葉が美しく、おしゃれな観葉植物として人気があります。
透きとおるような柔い葉が、ニイジェの腕の中で危なっかしく揺れた。「この樹も、もとは剪定した枝から殖やしたものでね。切り落とした後も僕らは生きてる。丁寧に扱ってやれば、傷口から新しい根が生えるし、芽が残っていれば新しい葉も茂る。そうして新しい樹に変わるんだ」『すべての樹木は光』第三章「言葉のない世界」P109
私のTwitterを昔からフォローして下さっている方は、ウンベラータという名前にちょっとだけ聞き覚えがあるかもしれません。我が家で十年以上育てており、折に触れて写真を上げてきたため…笑。
剪定した枝をただ捨てるのも忍びなく、挿し木にして増やした結果、我が家にはウンベラータが三鉢(+友人にあげた一鉢)もあります。『樹木』における挿し木のエピソードも、もとい『木陰』の本筋も、十年を同じ部屋で過ごしたウンベラータ無しでは生まれなかったかもしれません。
右側はカットした葉。挿し木用の枝に葉っぱが残りすぎてると負担かかるからね。
この後、無事に発根し鉢に植え替え済み。2024年、自宅で撮影
夜、寝る前にウンベラータの影を眺めてはしげしげと見惚れることもありました。曲線が優雅なんだよね…。
2015年購入なので二年でこの樹形。成長が…成長が早い…!
そうそう、それから…『すべての樹木は光』において、ときどき「木喰い蔓」と呼ばれる植物が登場しますが、これらは主に熱帯に生息するフィカスの木々です。私たちの世界では一般に「絞め殺しの木(Strangler Fig)」と呼ばれています。Figはイチジクの意。とはいえ、着生したあげくに蔓もしくは気根で宿主を締め殺してしまう植物の総称なので、イチジク属以外の蔓植物なども該当します。
「あの種の蔓はねえ、手近な木に巻きついて、太陽が届くところまでぐいぐい伸びるの。そして光を独り占めして、どんどん強く太くなるの。巻きつかれた不幸な木は全身を枷に嵌められたようなもの、自分が成長するほど枷に食い込まれて、傷つき、死んでしまう。そうして枯れた木が朽ちて無くなると、真ん中に空洞を抱いた蔓だけが残るの。それが木を食べ尽くしたように見えるから、木喰い蔓」『すべての樹木は光』第三章「言葉のない世界」P98
身近なところではガジュマルやベンガルボダイジュ、インドボダイジュが該当しますね。ウンベラータも気根は出しますが、たぶんガジュマルほどの着生力はないんじゃないかな…。
『樹木』を最後まで読み終わった方へ
百の木々と思っていたそれが、頭上で互いに繋がっていることにユハは気づいた。どことなくガジュマルに似ているかもしれない。あるいは、キアウィと一緒に見た——「これも木喰い蔓?」ユハの呟きに、チジュが首を振った。「これは違う。これは全部この木自身」『すべての樹木は光』第三章「言葉のない世界」P167
『樹木』後半、ユハ・アジュ・チジュの三人が変身してしまうシーンにおいて、近くに生えていた大木は「木喰い蔓じゃない」と言われていますが、いま読み返すと「いやこれベンガルボダイジュを意識して書いてないか…?」と思います。幹ほどの太さがある気根(支柱根)を枝から下ろしながら育つ、世界最大の樹冠を持つ樹木です。記憶が曖昧! まあこの木は最初から地面に生えていたのかも。。
樹木や植物は、平和・調和・穏やかさと結びつけられがちで、もちろんそういった側面も確かにあるのですが(樹木がなければ地球の生命は生きていけないし)、でも、厳しさや苛烈さ、恐ろしさだってもちろん持っていて……過剰に神性視せず、同じ世界に生きる生命であることを忘れたくないと思っています。他者を絞め殺してでも光を求め生きるのも、他の樹木や菌類と根で交感しながら生きるのも、どちらも樹木の姿なんですよね。
カエンボク(火焔木)Spathodea
『木陰』を最後まで読み終わった方へ
目を開けたとき、トゥイが立っていた場所には、一本の樹木が生えていた。枝先に集う赤い花はまたたく百の灯火のように天に向かって花弁を開き、伸びやかに広がった葉叢はその身に光を呑みながら、林床に木漏れ日を投げかけた。『すべての木陰に歌を』第二部「揺らぎの庭」P98
(私たちの世界では)西アフリカ原産、ノウゼンカズラ科カエンボク属の常緑高木。学名Spathodea campanulata。カンパニュラ…はラテン語で釣り鐘を意味します。ジャカランダ、ホウオウボクとともに世界三大花木のひとつとされ、その名のとおり、炎を思わせる釣り鐘型の花を咲かせます。
英名は様々ありますが、 African tulip tree、Fountain tree、Flame of the forestなどが有名どころでしょうか。
カエンボクの木陰に差しかかり、トゥーリは視線をあげた。その名のとおり、枝先に上向いて咲く釣鐘形の緋い花は、色も形も、炎によく似ている。羽状複葉、翼に連なる羽のように、複数の小葉が一本の葉軸に並ぶために、密集した枝葉はすっかり光を遮って、見上げても枝葉の天蓋しか見えない。温室をゆく人々も、高く伸びたカエンボクの枝先に集う花にはほとんど気づかず通りすぎてしまう。この温室にも空中通路があれば、美しく咲いた灯火の花にきっと誰もが見入るだろうに。『すべての木陰に歌を』エピローグ
『木陰』エピローグで明らかにされるトゥイの樹種が、カエンボクです。
もともとトゥイは「樹木から人間に変われる存在」「鳥と親しい(鳥媒花を咲かせる)」ということくらいしか決まっておらず、魔女ということにしていたり、仮の名前も森を意味する「シルヴァ」「シルヴィ」だったりとフワフワでした。樹種についても、マメ科のデイゴやエリスリナやホウオウボク、ヤマモガシ科のプロテアを検討した記憶があります(いずれも鳥媒花)。最終的に、天から地に注ぐ雨が主要モチーフであった『樹木』に対し、『木陰』では地から天に昇る煙と火を書きたいと思っていたことも加味して、カエンボクに決めました。名前の力を大いに借りています。
カエンボクは両性花を咲かせ、コウモリや鳥によって受粉します。本来はハチドリとの関係性が深いらしいのですが、本作ではゴシキセイガイインコをモチーフとしたティリと仲良くなってもらいました。
「トゥイは変わり者。トゥイはどうしても歩きたかった。トゥイは街路樹だったんだ」聞き間違いかと思って、ユハは顔を上げた。トゥイは口の端に煙をまとって、ユハの顔を見て微笑んだ。「本当だよ。トゥイは森の外で生まれた。グウェンもそう。人間たちと暮らしていた。だから人の言葉も、煙の味も知っている」『すべての木陰に歌を』第二部「揺らぎの庭」P115
美しい花を咲かせ、丈夫で成長が早いことから、世界中の熱帯域で街路樹や庭木として植栽されています。で……結果として世界の侵略的外来種ワースト100になっているのですが、それは考えなしに植えまくった人類のせいだよ……
トゥイもまた生まれは街路樹であり、トゥイ自身によって語られるとおり、挿し木で増やされた遺伝子的同一個体は今もどこかの街に生えているかもしれません。
執筆期間中にどうしても見たかったのですが、都内の植物園にどうやら存在せず(数年前までは新宿御苑にいたらしい…)、最後まで資料に基づく想像だけで書き上げました。浜松フラワーパークにいたらしいんですが、クロヒョウ目当ての訪問だったため全然気づかず素通りしてしまったのがマジで悔しい…。
いつか対面できたら、本項にそっと写真を足したいところです。
クロヒョウ Black Panther
日が暮れ、黒豹はすっかり夜に溶けこんだ。焚き火のゆらめきが毛並みに照り映え、黒の只中でしずかに光る金の瞳は、間近で見ると澄んだ翠色を帯びていた。『すべての木陰に歌を』第二部「揺らぎの庭」P112
(私たちの世界では)アフリカ全域、アラビア半島、南〜東南アジアに広く生息する、ネコ科ヒョウ属の肉食動物。ヒョウは大型ネコ科動物の中では最も広範囲に分布しており、サバンナから熱帯雨林、都市の郊外林にまで生息する適応力を持っていますが、他の大型ネコ科動物と同様に生息数は減少しており、絶滅危惧種に分類されています。
クロヒョウはヒョウの黒変種です。メラニン過剰によって生まれるメラニズム個体であり、体色に隠れて分かりづらいですがちゃんとヒョウの斑点模様があります。アジアの熱帯林では半数以上が黒変種であり、逆にサバンナでは滅多に見られないそう。熱帯雨林の暗い林床では黒い体毛が目立たないからでしょうか……。
日本では4箇所の動物園でクロヒョウを見ることができます。その多くが浜松市動物園の個体から生まれた家族だそう(参考元)。
浜松市動物園は浜松フラワーパークと隣接しており植物好きにも嬉しい…!ということで執筆期間中に一度会いにいきました。
第一印象が「で、でかい黒猫だ…!!」になってしまったことをお許しください(でかい黒猫ではない🐈⬛)あの顎と牙で首ねっこ掴まれて樹上に引っ張り上げられたらもうおしまいだよ……。
トラ、ライオン、チーターに比べてヒョウを飼育している動物園は少ないので、もしかしたら物心ついてからヒョウを間近で見たのはこれが初めてかもしれません。
『木陰』第三部を読了された方へ
ひとは昔から、四つ足の獣に変わる物語を夢みてきた。たとえば狼に、虎に、熊に、ジャガーに。そんなお話はどこにでもある。数えきれないほど。そんなありふれた変身譚が我が身に降りかかり、グウェンはすっかり困ってしまった。樹木に変身するのとはわけが違う、街中でうっかり黒豹に変わってしまったら、おおよその人間は恐慌する。『すべての木陰に歌を』第三部「夜の木陰を渡り」P148
第二部から登場するグウェンは、人間として生まれ、黒豹へ変わるようになり、やがて黒豹として生きることを選んだ者です。その来歴はトゥイによって物語られますが、語るうちに細部は変わっているかもしれず、またグウェンがトゥイに伝えなかった事柄も存在します。
ユハにとっては他者であり、グウェンの物語はユハの物語にとってそれほど大きな意味を持ちません。ただ、彼は間違いなくトゥイの友人であり、たまたまそこに居合わせた第三者として、ユハの傍に座ったり爪とぎをしたりします。世界ってきっとそういうこと。
森から社会に帰っていったユハとは別の道を選んだ存在でもあります。その点ではニイジェと同じですね。
初期案では、森と外界を行き来する行商人であるとか、人になったり豹になったりしつつユハの話し相手になるとか、そういう方向も検討したのですが、最終的にはユハと言葉を交わすことはなく、人間に友好的な(元人間の)黒豹、という立ち位置に落ち着きました。
密林で暮らす大型ネコ科動物には、ヒョウに加えてジャガーとトラがいます。
ジャガーは中南米の神々と深く結びついていますし(テスカトリポカが変身する姿であるとともに、かつては雨の神ともされたとか)、トラはインド〜東アジアにかけて数多の言い伝えを持っていますね。
もしかしたら、現代日本の私たちにとって、いちばん身近な変身譚って『山月記』かもしれません。現代文の教科書に載ってるし。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」山月記の元ネタは9世紀に成立した唐の伝奇小説なので、人間が抱いてきた変身への想像力はずいぶんと普遍的なものなんだな…と思います。
ヒョウは、なんとなく(ジャガーとトラよりも)変身と神話の気配からちょっとだけ離れたところにいる気がして、なんでもない普通の人間が変身してしまう対象として、本作ではその距離と余白を頼らせてもらったのでした。とはいえ私が知らないだけでヒョウの神話伝承もきっとあるんだろうな。
ゴシキセイガイインコ Rainbow Lorikeet
左手の枝先に座した鳥、鮮やかな五色の羽を持つ鸚哥は、訝しげに首を傾げながら断続的に短く鳴いた。威嚇めいた響きだった。赤い嘴と長い尾羽。『すべての木陰に歌を』第二部「揺らぎの庭」P89
(私たちの世界では)オーストラリア東海岸、およびオセアニア熱帯地域からインドネシアにかけての森林地帯に生息する、オウム目ヒインコ科(分類法によってはインコ科ヒインコ亜科)の鳥類。ローリーLoryまたはロリキートLorikeetと呼ばれる花蜜食雑食性のインコで、花の蜜や花粉、果物を主食としています。
吸蜜に適したブラシ状の長い舌を持ち、硬い穀物や木の実などはあまり食べないそう(昆虫はときどき食べるとか)。身近なところで言うとメジロやヒヨドリなども花の蜜が好きな鳥ですね。
体長は25-30cmほどで、中型インコに分類されます。緋鸚哥、五色青海鸚哥という漢字表記のとおり、体色はとても色鮮やかです。亜種によって体色も様々ですが、たとえばオーストラリアに生息するTrichoglossus moluccanusは、瞳と嘴は緋色、頭部は濃紺、首元は黄色、胸元は山吹色、翼の外側と背中と尾は緑色、翼の内側はオレンジと黄色です。カラフル〜
Wikimedia CommonsよりCCライセンスに基づき引用
Charles J. Sharp, CC BY-SA 4.0
オーストラリアのケアンズ周辺では普通に見られる鳥であり、2023年にケアンズを旅行した際にわたしも見ているはず……なのですが、当時は植物で頭がいっぱいだったため何も覚えていません。おろか!
せめて一枚くらい写真に残ってないかと探したところ、かろうじてありました。小さいけど…! こうして見ると、五色の羽も森の中ではそれほど目立たないのがなんとなく想像できます。緑色ベースだしね。
画面左の止まり木と、金網の下側にいるのがおそらくゴシキセイガイインコ
作中で描写するにあたっては、友人宅で飼われていたセキセイインコや、動物園の触れあいコーナーなどで触らせてもらった鳥の記憶を参考にしています。人生において鳥類を飼ったことがなくて……。
執筆期間中に中型インコを触れる機会が一度あり、嬉々として臨んだところメガネをめっちゃ齧られてすごかったです笑。実際に鳥と暮らしている方から見て、それほど不自然でないように書けていたら良いな…と願っています。
なお、ゴシキセイガイインコは陽気で人懐こく、コンパニオンバードとして人気が高いものの、飼育はかなり難しいのだそうです。蜜食なので糞がとても柔らかいのと、声が大きいのとで。
以下はオーストラリアのクイーンズランド州にあるBungalow Bay Koala Villageでの餌やりタイム動画です。すげ〜〜賑やか。人間の頭めっちゃ乗る。
『木陰』第二部を読了された方へ
見覚えのある五色の鳥が舞い降りてきて、トゥイの胸元にとまった。「ティリ?」と思わず呼びかけたユハに、鳥は一声鳴いて応えた。ティリは小さな鉤爪でトゥイの上を歩いてゆき、首元にうずくまった。トゥイは瞳を瞬かせ、崩れた左手で柔い羽毛をそっと抱いた。
「そこにいたら潰しちゃうよ、ティリ……」『すべての木陰に歌を』第二部「揺らぎの庭」P124
第二部に登場する鸚哥のティリは、ゴシキセイガイインコを主なモデルとしています。ところどころ意図的な差異も加えてあり、その筆頭が鳴き声です。トゥイの名前は、ティリの鳴き声(トゥイ・トゥリ・トゥア)から取ったものですが、ゴシキセイガイインコの声はもうちょっと金切り声っぽい感じですね。
第二部では基本的に動植物の描写に固有名詞を使っていません。あの世界は常に揺らいでおり、私たちが用いている現実での分類法はほとんど意味を為さないからです(ただし庭の外で生まれたトゥイやグウェンはちょっと別)。
「トゥイと親しい花蜜食の鳥」という設定が先にあり、当初の候補にはハチドリやタイヨウチョウも考えていました。ある程度は人間と親しめる(ユハにも友好的な)鳥、ということで最終的に花蜜食のインコに落ちついています。初期設定ではトゥイの恋人でもありました。どちらにせよ花粉媒介者であり、互いに互いが欠かせない存在ではあります。
なお、ティリが変身するコウモリには特定のモデルはないのですが、花蜜食のコウモリであるのは確かです。たぶん何らかのフルーツコウモリかな…。ケアンズの夜空で鳴き交わしていた小さなコウモリたちもうっすらイメージしています。
ホタル Firefly
何度目かの緩慢な瞬きのあと、視界に光が過ぎった。明滅しながら遠のき、舞い戻り、鼻先を掠める。一匹の蛍だった。蛍は弧を描いて、木立の向こうに飛んでいった。『すべての木陰に歌を』第二部「揺らぎの庭」P86
高尾、夕焼け小焼けふれあいの里にて
(私たちの世界では)スウェーデンから熱帯に至るまで、世界各地に2000種以上が生息しているとされる、甲虫目ホタル科の昆虫たち。日本においては水生のゲンジボタルとヘイケボタルがあまりに有名ですが、世界的には水生のホタルはごく少数であり、光るのも幼虫の間だけという種が大半です。…という事実を私は初稿時点では知らず、誤った描写をしていたため、下読み段階で指摘をもらって大慌てで修正を入れました。危なかった…
最初に謝罪しなきゃいけないのですが(誰に?ホタルに…)、植物に向けるほどの巨大な憧れを昆虫に対して抱けなかったために、本シリーズは昆虫の描写がぬるいです。熱帯雨林に飛び交う虫たちを樹木ほどには想像しきれていません。人類よりも昆虫の方がよほど植物にとっては重要だが!?(歯軋り)
夜と影の物語である『すべての木陰に歌を』第二部以降で、蛍たちにはほぼ出ずっぱりで登場してもらいました。モデルとなる特定の種はないのですが、やはり心に蓄積されたゲンジボタルとヘイケボタルのイメージがあまりに大きく、水生ホタルとして描写しています。あとうっすら重ねているのは、東南アジアのマングローブ林に生息する、Pteroptyx属のホタルです。彼らはマングローブの木に集い、数百匹で光の瞬きを同期させながら輝くといいます。いつか見てみたいものだなあ…。
都内においては多摩動物公園の昆虫館でホタルの解説展示が見られます。また、冒頭に掲載した高尾の山林など、都内にもホタルの生息地は残されているので、関心ある方はぜひ調べてみてください。私が暮らした千葉の田舎では、三十年前には水田にかろうじて最後の個体がいたのですが、以降まったく見かけなくなってしまいました。
『木陰』第三部を読了された方へ
蛍たちは翅を休めようと枝葉に集い、無数の光がユハの頭上で規則的に明滅した。ふと降りてきた光のひとつが指先にほど近い樹皮にとまった。淡く小さな灯りに照らされて、皮膚の輪郭がかすかに浮かびあがり、ユハは息を呑んだ。『すべての木陰に歌を』第三部「夜の木陰を渡り」P164
第三部の水面に、ユハとトゥーリ以外の他者として唯一登場できたのが、蛍たちでした。彼らが瞬かせる光の言葉は、ユハにもトゥーリにも伝わりません。ユハを一瞬だけ照らし、風に乗って蛍たちは去ってゆきます。どこからともなく、またどこか見えない彼方へ。
第二部と第三部は世界が揺らいでいるため、蛍たちも現実と幻想をともに抱いているように見えます。第二部でユハが森の深奥へと踏み入るとき、蛍の川を横切りますが、きっとそこには何らかの魔法があったのでしょう。
本来、蛍は旅をしません。だから生息地が破壊されると移動もできず数を減らしてゆきます。水面を渡りゆく蛍たちの群れは、あの世界にだけ存在する幻です(私が知らないだけで、2000種の中には1種くらい旅するホタルもいるのかもしれないけれど……)。
熱帯雨林とホタルのイメージは、バルガス=リョサ『密林の語り部』で描かれたホタルの神話伝承からも大いに影響を受けています。
マングローブ Mangrove
「なあ、今ここでうっかり変身したら、そのまま枯死したりしないよな」
「いきなり怖いこと言うね……ふつうの樹木だって海水に浸かっただけで死んだりはしないよ、たぶん。根を真水でよく洗えばね。ここに根づくのはもちろん無理だけど、マングローブじゃあるまいし」
潮風に打たれ、ニイジェは目を細めて波打ち際に立ち止まった。『樹木のバカンス』
オーストラリア、デインツリー熱帯雨林に隣接するCow Bay Beachにて撮影
(私たちの世界では)熱帯・亜熱帯の温かな海と陸の狭間、汽水域の浅瀬に根を張る樹木の総称、および、そこに成立する森林群落のこと。日本では沖縄県と鹿児島県にマングローブの自生地があります。
干潟や河口沿いなど、潮の満ち引きによって水位が上下する湿った土壌で生きるため、地上に露出する支柱根や呼吸根を発達させた樹種が多いです。複雑に入り組んだ根は生き物の隠れ家となり、豊かな生態系の基盤になっています。
マングローブは100種ほどあるといわれ、種によって対塩性も異なり、海から離れるにつれて植生が移り変わってゆきます。よく見られるのはヒルギ科の植物です。あとはニッパヤシも、東南アジア圏において屋根や壁、籠などの原料に利用されてきたことで有名ですね(板橋区熱帯植物館ではニッパヤシの小屋が展示されています)。マングローブ林の後背地、満潮時でもほとんど海水の影響がない辺りまで来ると、サガリバナなどの半マングローブ植物が現れます。
川の上流側や、水辺から離れた砂地では熱帯雨林の植生となる
オーストラリア、ケープ・トリビュレーション、ドゥブジの森にて撮影
作中でマングローブに言及したのは『樹木のバカンス』が初出です。『樹木』本編では海が出てこなかったので…。ニイジェが変身する樹種に特定のモデルは無いものの、彼の口ぶりからして少なくともマングローブではないようですね。
海と陸の狭間に生きていることから、どこか曖昧な…混じりあう境界を繋ぐ存在であるような印象があります。マングローブの神話伝承もいつか調べてみたいです。
マングローブもっと知りたいな〜という方がいたら、以下のサイトが図版多めでわかりやすかったのでおすすめしておきます:)
・マングローブの森林形態|鹿児島&沖縄マングローブ探検
・日本のマングローブ植物|鹿児島&沖縄マングローブ探検
『木陰』第三部を読了された方へ
『木陰』第三部の終盤、長い旅の終わりに、ユハは透明なマングローブの森を通過します。広大な水面を歩いた果てにやっと現れる森の入り口、それはやはり狭間に佇むマングローブでしょう、ということで…。
いつしか水面にはマングローブの森が映っていた。海と川の狭間、浅瀬に生きる木々。水底で窒息しないよう、不安定な地でも倒れないよう、気根を広く這わせている。ユハはよろめきながら泥濘を進んだが、とうとう姿勢を崩して倒れかけた。闇雲に伸ばした手が何かを掴んだ。何も見えなかったが、何かが傍にあった。ほっそりとした若木か、泥に突き立てられた気根か。驚いて身体を捻ると、今度は顔をしたたか叩かれた。おそらくは巨大な葉の一枚がそこにあった。ウチワヤシ。あるいはモンステラが。『すべての木陰に歌を』第三部「夜の木陰を渡り」P226
ここで登場するウチワヤシ(学名Licuala ramsayi)は、2023年にドゥブジの森を訪ねた際に見たヤシで、Australian fan palmとも言われます。その名のとおり巨大な扇のような葉を持ち、群生地はすごい迫力です。
オーストラリア、ケープ・トリビュレーション、ドゥブジの森にて撮影
本編を書き終えてから、Natureページ更新のため改めてマングローブについて調べ直したところ、ウチワヤシってマングローブではないよな??ということに今更思い至ってしまったのですが、土壌適応性が広いため、熱帯雨林や淡水沿岸林からマングローブ林後背地に進出してくることもあるみたいです(参考:オーストラリアの生態系保護団体のサイト)。サガリバナと同じような、後背地に生息する半マングローブの仲間…とも言えるのかもしれません、たぶん。
それはそれとしてモンステラはたぶん生えていない!!ということにも気づいてしまいましたが、描写時点では透明な幻の森なので、なんとか……幻の狭間に存在してくれないか……??
第二版以降でそっと直すかもしれませんが、127年前のユハが熱帯雨林に迷いこむ際に額を叩いていったのもモンステラなので、残しておきたい気持ち。
作中に関するご質問や、紹介を希望する植物などがあれば、お気軽にお寄せください:)
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