呼吸書房

ある冬の日の

冷たい風がきんきんと吹き荒ぶ、冬のある夜のことでした。
 田舎の冬は、風景が息を潜めるかわりに、星が煌々と輝く季節です。けれど、都会の冬は、凍えるばかり、夜空にはぽつりぽつりと、置き忘れたような二つ三つの星しかありません。その寂しさを埋めるように、都会はきらきらと光を灯します。その輝きがさらに星を遠ざけると分かっていても、光が減ることはありません。今では、都会に住む人々は、冬の星がどれほど美しく、恐ろしく輝くかということも、星がいない寂しさも、もう、忘れてしまっているかのようでした。
 そんな眩しい都会の、それは寒い夜に、私は彼を見かけたのです。

海の暗い闇を縁取るように、幾重にも重なった灯りがごうごうと通り過ぎていきます。街と街とを繋ぐ高速道路は、夜も決して眠ることがありません。流れていく灯りの急流を眺めているうち、ふと、私はひとつの灯りが震えているのに気がつきました。光の流れの端に、杭のように並べられた外灯のひとつが、がたがたと震えていたのです。
 遮ってくれるものなしに、黒い海からの風がまともに叩きつけてくるのです。冬の夜の高架橋は、どれだけ寒いことでしょう。そう思い、私は彼をじっと見つめました。そして、驚きました。彼は寒さで震えていたのではありません、身体を震わせて、泣いていたのです。
 私は思わず、声を掛けました。
「君はどうして、泣いているのですか。」
 掛けてから、聞こえるはずがないということを思い出し、私は苦笑いしました。彼の立つ眩しい夜の中では、私の声は光のごうごうという唸りにあっという間に掻き消されるに違いなかったからです。けれど、
「僕は、」
 彼は私を見上げました。
「僕は、本当の星になれたらよかった。」
 真っ直ぐに向けられた凍えた声に、私は黙りこみました。
「僕の立つこの場所からでも、あなたと、他にもいくつかの星が見える。この眩しい都会の夜でも、あなたたちは光を失わない。僕は人の暗闇を照らす為に生まれたけれど、こんな眩しい世界では、僕ひとりの灯りなんて何の役にも立たない。」
 悲しい寂しい声でした。
 彼は、通り過ぎる灯りと、その中の人とを、何人も何人も、見送ってきたのでしょう。輝いているだけの私と違い、彼には、人の暗闇を照らすという、立派な仕事がありました。その為に作られ、生まれてきました。それなのに何故彼が自分を嘆くのか、私には分かりませんでした。
 そのまま私が黙っていると、また別の声が聞こえました。
「そんな悲しいことを言うもんじゃない。」
「何故。僕の光に何の意味がある? 君の光に、どれだけの意味がある? 周り中がこんなに明るいのに。カストルもポルックスも、ベテルギウスも見えないこの街で、何処かへ行くことも出来ず、何故君は、意味もない光を灯し続けるんだ?」
「これが僕たちの仕事だ。」
「そんなことは、」
「君は、僕らの立つこの高架橋が、離れた場所から見たらどれだけ美しいか知らないだろう。たとえば、ほら、あそこの遠くを、いつも走って行く電車の窓から、僕らがどれだけ美しく見えるか、考えたこともないんだろう。あの電車には、絶対に、寂しい人が乗っている。そうして、窓の傍に立って、何かを探して、星も見えない都会の夜を寂しく眺めているかもしれないだろう。その時に、僕らが、一生懸命、出来るだけ暖かい、オレンジの光を灯したら、その人の心が、少しでも、ほんの一瞬でも、暖かくなれるかもしれないだろう。」
 泣いていた外灯は、口を閉ざして、じっとその言葉を聞いていました。やがてぽつりと、呟きました。
「分からないよ。それにそんなこと、分からないよ。」
「分からなくったって構うもんか、もしかしたら、そんな人がいてくれるかも、分からないじゃないか。だから僕は……だって、そう思っていた方が、一生懸命光ろうって、思えるじゃないか……。」

それっきり、彼らの声は聞こえなくなりました。あとは、ごうごうという唸りが響くばかりでした。
 冷たい風が吹き荒ぶ夜、彼らはただ黙って、光を灯し続けていました。