呼吸書房

北極の火

寒い日には南国の物語を、暑い日には北国の物語を読みたいと思う。それはごく自然な願望だ。
 燃えあがる図書館の階段を上へ上へと登りながら、わたしは壁面書架に並ぶ本たちの背を撫でていった。もしかすると人生最後の一冊になるかもしれないのだから、最高の偶然が必要だ。容易に決めてはならないし、決め損なってもいけない。この階段もいつまで持ちこたえるか、次の瞬間にも支柱が折れて、わたし諸ともがらがらと、火の中へ落ちてゆくかもしれないのだ。一階から三階はすべて火に包まれている。出口に辿りつくことはできない。四階の窓から飛び降りたとしても、骨折死が関の山だ。
「火口みたいだなあ」
 わたしはぼやいた。急激な温度差に育まれた上昇気流が階段に渦巻き、手のひらも、背中も、額も、髪も、べったりと汗をかいて気持ちが悪い。どんな夏もここまでひどくはない。
 ふと遠ざかる意識の間に、シャーベットを、とわたしは夢見た。とびきり冷たいシャーベットがいい。わたしは指先に目を向ける。その指が触れている本を、タイトルも確かめずに抜きとる。それが正しい選択であるとわたしは知っている。登りつづける健気な両足を半ば置き去りにして、わたしは本を開いた。
 然り。とびきりの凍えるような物語だと、一行読んだだけでわたしには分かった。
 熱風に煽られたページは激しく、目まぐるしく時を進めた。先へ先へ、汗だくのわたしを火事の最中から引きずりだすように。
 物語の中には豪雪が吹き荒れていた。今しも哀れなあばら家が、積雪に耐えかねて潰れるところだ。とうに暖炉の火は燃えつきて、真っ暗な部屋の中ではひとりの老婆がぼんやりと天井を眺めている。薄い毛布を何枚も身に纏い、業火の熱を夢みながら、皺だらけの両手を擦りあわせている。外は半月にも及ぶ吹雪なのだ。血飛沫のようにごうごうと雪を撒きちらして吹く風は、凍える白樺の間を抜けて、ページに並ぶ文字列をも自らの腕に捉えた。

わたしは自らの息が白く凍るのを見た。物語を掲げもつ両指が悴んで、一瞬の内に感覚を失い、本を取り落とした。でも心配はいらない。ページの奥から巻きおこる風が既に本を捉えている。上へ上へ吹きとばされてゆくその本を、わたしは無心に追ってゆくだけで良かった。
 やがて風には雪が混じった。すべての命を凍えさせ、呑みこもうとする白い雪。それは灰に似ていた。もしくは千切れたページのかけらに似ていた。吹雪の只中に踏みこんだときのように、視界が真っ白な平坦に染まる。何の音も聞こえない。何の熱も感じない。わたしはもう本を閉じることができないので、あの粗末な小屋の老婆が、無事に春を迎えられたのかどうかも分からない。
 それだけが心残りだ。